飛べない飛行機は、問題外。
28年前のJAL123便(ボーイング747型機)の事故は、忘れたくても忘れらない。
’85年8月12日、乗員乗客合わせ520名を乗せたジャンボ機は、18時過ぎに大阪に向け羽田空港を飛び立った、
相模湾上空で、垂直尾翼を失い、操縦不能となった同機は、ダッチロールにより、群馬県・御巣鷹山の尾根に墜落した。
時速400キロを超えた機体が、山に激突し、516名が死亡し、その遺体の状況は壮絶なものとなった。
今回分かった”新事実”は、機長の遺体に関するもの。
群馬県はもちろん、全国から医師、歯科医師が駆けつけ、数か月をかけて全遺体(遺骨)を確認したという。
そんな中、高濱機長(享年49歳)の遺骨、それも歯を女性歯科医師が派遣し、奥さんに報告。
しかし、奥さんはその死を認めず、というよりその歯が最愛の夫のものであることを認めない。
必死に説明する歯科医師は、なくなった機長の奥さんに納得してもらえるよう研究を重ねた。
その内容は専門的なことで正確には分からないが、基礎的なことは歯科治療の経歴をデジタル化したこと。
これにより、各人の明確な記録が残り、しかも紙ベースよりはるかに、迅速にそのチェックができることになった。
この事例を豊富に積み重ね、機長の奥さんを説得。その月日はなんと27年間。
そう昨年、女性歯科医師の研究成果により次々と解明される事実に、やっと奥さんも納得。
27年ぶりに夫の死を確認できるものは、歯のみ。
歯科医師だけが知っている”新事実”を語ってくれたのは、かかりつけの先生。
東北出身で、若干なまりの残る還暦を過ぎた先生、それも友人の税理士からの紹介。
歯科医師会でも役員を務め、東日本大震災でも、多くの歯科医師が奮闘したという。
津波により建物もろともカルテやパソコンなども流されたが、泥水をかき分けて、カルテを探し集めたという。
それも遺体を確認するためのもの。早く家族の下に返してあげたいという、必死の思いだった。
新聞報道などで白骨化した死体の歯の治療状況から、身元が分かるといった情報がある。
まさに治療の状況が把握できれば、歯科医師がそれを確認。東日本大震災でも多くの遺体が解明された。
それにしても、日航ジャンボ機の機長の遺体(歯)が、家族の下に帰るのに27年もかかったというのを聞くにつけ、人の心(情け)の奥深さを感じた次第だ。
強風により、飛行機が飛ばなかったことに不平を言うより、安全を重視する姿勢に拍手かもしれない。
事業承継に関係のない本日のブログでした。
事業承継支援室長
大滝二三男