トヨタの高級車レクサスのブレーキが利かなくて、190キロ以上のスピードで交差点に突入し、4人が死亡した事件。その車を運転していた人からの電話による交信がテレビなどで放送され、大きな話題となった。もちろん、この事実はわが国ではつい最近になるまで放送されなかった。まさに恐怖の遺憾を伝えるそのものだった。
日本ではこのような事実はほとんど聞いたこともないが、米国では数例報告されていたという。このような事実に関する判断は米国内では裁量権はなく、すべて日本国に判断する体制になっていたという。日本ではお上思想で、トヨタが何も言わないのだから大丈夫だろうと感慨勝ち。
ところが、米国では現地の裁量がすべて。なぜ、誇り高き米国に裁量権がないのか、そんな企業に任せるわけにはいかないと、米国の議員たちは中間選挙のことも十分計算に入れ、自らの主張を最大限にアッピールするのが当然の権利。日本人にはほとんど理解不可能な主張ももちろんあり。
命が大事か、企業の収益が大事かと疑い続けるわけだが、車大国の米国がナンバーワンの地位から放り出された瞬間に日本のナンバーワンは狙われる運命にあることをトヨタは知らなかったのだろうか?第2位でいる限り、米国は鷹揚に構えることができたが、首位を奪われたらそうは行かない。
米国内ではトヨタに15万人が勤めているというが、この人たちの雇用も考えなければいけないし、部品メーカのことを考えると、米国でのナンバーワンの地位を確保し、彼らに雇用を守ることも義務である。それによって、日本の企業として世界の覇権を出張できるのではないか。
しかし、ナンバーワンになることはその地位を常に狙われる立場に立つことであり、社長の名前がすべてついている以上、全責任は自分にあるということだけで、個人主義の国の議員たちの矛先を収めることはできないであろうことは明らかである。もちろん、トヨタがなあなあ主義であったとは思わないが、果たしていかに。
大政奉還で創業家に代表取締役の地位が戻ったといっても、その持ち株数は2%程度。大トヨタであるから、その数字でも大変なものだが、果たして、単純に事業承継として現社長を選んだわけではないだろうが、これだけの世界的な大企業に果たして創業家出身の社長は必要なのだろうか?ほんとうにトヨタは大丈夫?!
事業承継支援室長
大滝ふみお
でした。