政治に金がなければできないことは誰もが知っている。
今から20数年前は、票を稼ぐために、地方では選挙期間中には、特別に選挙事務所で昼飯を提供し、夜になれば酒盛りもあった。
東京では、選挙民が候補者の選挙事務所に出かけて行き、食事を提供されることは40年前もなかったことだが、関東平野の一部では小選挙区制が導入される直前まで、中選挙区制の時代にはお金が乱れ飛んでいたという話をつい最近、耳にした。
公共事業を獲得するために、建設業者たちが国及び地方公共団体の担当者を接待することは当たり前。法律に触れることはないはず。そこに金員が介在すれば、当然贈収賄ということになるだろうし、数千万円が動いていれば当然、検察が動くことであろう。
ところで、いま、”書生”ということを理解できる人がどれだけいるだろうか?若者が、自らが育った家庭では自分が行きたい大学の授業料等を払うことができないが、資金的にも社会的にも余裕のある政治家や経済人の家に寄宿し、彼らの指導の元に将来の夢を実現する。そこには書生の個人的な自由はない、本当に厳しい生活がある。
主人に生活費や授業料を労働の対価として提供されているが、その主人は書生にとって理想の姿だけに、どんなにノーと考えられることでも、面と向かって反対できるはずがない。もちろん、主人の間違った行為にはそれなりの判断があるだろうが、絶対君主である主人に歯向かうできるはずがない。
今回の小沢騒動では、若干”書生”のイメージは、私が考えるものとは異なっているが、絶対君主には変わりはない。当然主人の指示はあるだろうが、書生が十分信用できる存在であれば、主人も彼らにまかせっきりになるはず。それが書生と日々過ごしている先生の気質。
でも、こんな政治家は本当に少なくなりました。小沢一郎氏しかいないのではないだろうか。昔は自民党の政治家は若者たちを育てるために多くの書生を自らの家に住まわせ、食を提供してきたはず。もうそんな政治家は自民党にはいないし、剛毅な政商と付き合うこともない。もっとも政治を動かせるような政商がもういませんね。
こんな時代だけに、わが税理士業界も”書生”として、その将来、社会を背負って立つ、有能は若者たちを育てる必要があるようですね。ただ、試験が受かるまで安く使えるといった、利己的な動機ではなく、若者たちに未来に向けて翼を広げることができる場所を提供することが事務所の発展に繋がるのではないでしょうか?
事業承継支援室長
大滝ふみお
でした。