選挙の候補者として出るにも、お金はかかる。
この選挙で使用する街宣車の費用は、もちろん、候補者が負担。
でも、候補者を知らせる看板や新聞への広報などは、全て税金で賄われる。
選挙の政見放送も、候補者は一切負担することはない。
立候補者の供託金はあるにしても、それで選挙が賄われるわけではない。
無駄な立候補をするな、と言いたくなる候補者もいる。
投票が少ないだろうという理由だけで、立候補は拒否出来ない。
年齢も含め、要件が整い、供託金を納めれば、立候補はできる。
当然と言えば、民主国家の日本では当然のこと。
でも、これが出来ない国がいかに多いか、我々には理解できない。
お隣の国を見れば、よくわかるだろう。
個人の独裁国家と党の独裁国家、そんな国には選挙はない。
でも、わが国会議員が、税金で賄われていることを理解できているのか。
選挙ばかりか日々の政治活動も、税金で賄われている。
辞任した都知事もこの税金で交付された政治資金を、家族で使っていた。
これは氷山の一角だろう。
余った交付金を、次の選挙のため、支持者が拡大のために留保する。
そんな使われ方も、税金を納めるものとして、なにも言えない。
次の選挙まで、悪さを働いた議員を辞めさせることもできない。
しかも、悪さを素直に認める議員もほとんどいない。
国の日常を運営する官僚にも、議員を諌める、国士は数少ない。
退官後の天下先の少なくなり、自由にものが言えなくなっている。
成熟社会の先頭を走る日本、世界に範がないだけに、光が見えない。
今回の参議院議員選挙、5年、10年後にどう評価されるのか?
果たして見守れるか、見守りましょう。日本があれば!
事業承継支援室長
大滝二三男