記事の間違えを認め、それを社長が謝る新聞社は、本当に珍しい。
言いたい放題で、主幹からお褒めいただける記事を書く方が楽に違いない。
国会の記者などは、録音しながら、政府や野党の議員の後を追っていく。
新聞社はそれぞれ違うはずだが、録音する声は同じ。
それでも記事にするときは、他社の記者とともに、読む合わせをする姿も見受けられる。
そんな記事は、どこの新聞を見ても当然同じ。読んでいても面白くもない。
新聞とは、時の政府のやり方に意見を批判するがごとくに、記事を書くのではないのだろうか。
事実・事象だけを報じるのは、真実を書くこととは違うはず。
読者が勝手に理解すればいいというのは、新聞記者の怠慢のような気がする。
署名なき原稿だから、それもできるのだろうし、編集責任者の名前も載ってはいない。
池上氏の記事を載せなかった責任者が今回はっきりしたが、これも本当に珍しいこと。
経済記事で、お手盛り記事があることも誰もが知っており、それを追及する姿勢はない。
誤りを追及するのであれば、言いたい放題の新聞も自制が必要な気もする。
時の政府をヨイショする、その姿勢こそ、数十年前の誤りを再び犯すことにはならないのだろうか。
税理士業界でも、来年一月からの相続税大増税に、なぜ反対の声が起きないのか。
自らの生活が守れれば、それでいいというのでは、あまりに情けない。
大増税は政府が決めたんだから、自分たちには責任なし。そうなんでしょうね。
謝れば済む時代なんでしょうかね。
事業承継支援室長
大滝二三男