10年ほど前に税理士の先生方とカナダに視察に行きましたが、その際に日系の公認会計士親子の適切な対応に「やっぱり日本人だね」と感心したことを今でもはっきり覚えています。
われわれの訪れたバンクーバーでは当時香港の中国への返還を前に多くの香港在住の中国人たちがかの地に移住し、現地の人たちもベトナム戦争後のベトナム難民と同様にちょっとした混乱状況に陥っていました。
もちろん、バンクーバー中が中国人で埋まったわけではありませんが、白人社会にとってはあまり面白くない状況であったと思われます。何しろ、私の偏見ですが、アメリカ同様大変差別意識が強い人たちがいらっしゃるものですから。
そんなことを払拭されるように、天皇陛下が同国を訪問されましたが、1870年代から日本人が移住し、漁業や農業、林業で安い賃金で働き、差別されながらも一旗挙げて日本帰国するという野望に燃えた人々がいたことをつい最近知らされました。
天皇陛下は皇太子のときにもかの地を訪れていますので、移民の皆さんの歴史についてもよくご存知だったと思いますが、今回カナダ移民の実情を知らされたのが単行本『バンクーバー朝日軍』(テッド・Y・フルモト著、東峰書房刊)。
日系人社会の中で野球が唯一の娯楽というほどに盛んになり、アマチュアの中でも鍛えに鍛えられた朝日軍がバンクーバーを中心とするブリティッシュ・コロンビア州のなかでも白人たちのトップチームと遜色ない実力を維持し、日系人の大いなる誇りとなっていたという。
しかし、その朝日軍も1941年当時のアメリカとカナダの日系人のアマチュアのトップリーグで5連覇を果たした。しかし太平洋戦争により、当時英国連邦の一員であったカナダにとっては敵性国人のチームとされ、やむなく終止符を打つことに。
その後、戦時中に日系人たちはバンクーバーから強制的にローキー山脈のふもとの廃村などに移住させられ、戦後になっても日系人の勤勉さを知っている白人為政者はバンクーバーに戻ることも許さず、結果、輝かしい戦跡を誇った朝日軍が復活することはなかった。
米国同様、カナダも無実の民に対する迫害を行ったが、2003年、この朝日軍がカナダの野球殿堂入りが認められ、その式典では80歳を超えた5人の朝日軍OBが参列し、カナダ野球殿堂の理事長が「われわれには借りがる、」と謝罪し、忘れられていた朝日軍に光が当てられた。
とはいうものの、日本ではほとんどの人がこの朝日軍の存在を知らないの現実で、あの沢村とも大日本野球倶楽部(現読売ジャイアンツ)とも試合をし、野球ファンならカナダでは知らないものがいないというほど。今回カナダ訪問された天皇陛下が朝日軍をご存知かどうかはもちろん分かりませんが、
今まさに、総選挙に突入し、日本の針路を決めようというとき、貧困の中から海外に移住し、日本人のダイナミズムを実践した歴史を知ること、これはそのDNAを継ぐ現代人として、必要ではないだろうか。
事業承継支援室長
大滝ふみお
でした。